ぶながやっ子ハウスの学習支援
ぶながやっ子ハウスでは「学習支援」を行っています。ただ、その目的は他とは大きく異なっているかもしれません。(「『勉強』は何のため」のページもあわせてご覧ください。)
学力の向上を全く目指していないわけではありませんが、ぶながやっ子ハウスは塾ではありませんし、宿題や課題だけで学力が大きく向上する、とは考えていません。ぶながやっ子ハウスの「学習支援」の一つめの目的は、ぶながやっ子ハウスにいる間に宿題や課題を終わらせてから、子どもたちを帰宅させることです。そしてその結果として、家庭での親子の時間を創出することです。しかし、それだけではありません。ぶながやっ子ハウスは「学習支援」自体が子どもたちの健全育成に欠かせないものだと考えているのです。
学習支援こそが健全育成の根幹
ぶながやっ子ハウスでは、「学習支援」こそが健全育成の根幹として位置づけています。
健全育成と子どもたちの学力や学歴(進学率なども含む)は無関係ではありませんが、だからと言って学力や学歴を軽視しても健全育成ができないわけではありません。必須とまでは言えないと思います。それなのにぶながやっ子ハウスが「学習支援」にこだわるのは次の様な理由があるからです。
- 多くの家庭に共通の関心事、課題であるから
- 子どもたちは毎日の様に宿題や課題を課せられているから
- 親子の時間を創出するため
- 子どもたちが「学習支援」を通して得るものがとても多いと考えているから
一つめと二つめは、どちらかと言えば消極的、受動的な理由です。ぶながやっ子ハウスが「学習支援」にこだわるのは、三つめ四つめの理由があるからです。
スポーツと勉強
スポーツが子どもたちの自己効力感や自己肯定感、ストレス耐性、社会性など、様々な子どもたちの特性や能力を伸ばすことが知られています。スポーツの目的は「勝つ」ことだけではありません。もちろん「勝つ」ことを否定するわけでもありませんし、「勝つ」ために努力することも素晴らしいことだと思います。ただ、「勝つ」ことだけにこだわりすぎてしまうと、様々な弊害が生じることも広く知られていると思います。それぞれの特性や能力、目的に応じて、スポーツの楽しみ方は違うはずですし、また、そうでなければならないと思います。
「学習」も同じではないでしょうか。子どもたちの特性や能力に合わせた方法で行えば、様々なものを得ることができるのではないでしょうか。「勝つ」こと=「学力の向上」や「学歴」だけを「学習」の目的にするべきではありません。スポーツと同じ様に、必要な環境を調え、適した方法で行えば、「学習」を通して「学力」や「学歴」以外にも様々なものを得ることができる、とyamaは考えています。
ぶながやっ子ハウスが宿題を終わらせることにこだわっていること、また、その目的については他でもお話ししたことがありますが、ここでは「学習習慣」や「学習姿勢」を通して子どもたちに様々な特性や能力を身につけさせること、と言う目的についてお話ししたいと思います。
自己効力感
「自己効力感」は、子どもたちがあれこれ考えたり試したり、試行錯誤しながら正解に辿り着くことで身につく非認知能力です。学習を通して子どもたちが身につけやすい特性や能力の一つめです。「自己効力感」は「自分ならできるだろう」、「こんな風にすればできるはずだ」等と感じる気持ちで、「自信」のもとになる力のことです。
ただ、ここで重要なのは「正解に辿り着く」ことではありません。「正解に辿り着く」前に自分であれこれ考えたり試したりすることです。正解して当然の簡単な問題ばかり繰り返したり、説明を聞きながら正解に辿り着いたのでは、けして身につけることができません。
yamaは子どもたちによく「この問題は難しいぞ。○○にはできるかなぁ。」などと声かけします。そう言われた子どもたちの多くは「できるさ!」、「オレ、天才だから。」、「できたらどうする?」などと答えてくれます。ぶながやっ子ハウスに来てまだ日が浅い子どもたちの中には「え、そうなの? だったら教えてよ。」などと言い出す子どもたちもいますが、周りの子どもたちにつられて段々、変わっていってくれるのです。
yamaは、基本的には子どもたちの傍について手取り足取り教えることはしません。子どもたちが子どもたちなりの正解に辿り着く課程をできるだけじゃましない様に心がけています。時折、若い親御さんや先生方が宿題などを教える際に、子どもたちが間違うとすぐに訂正・矯正しようとする様子を目にすることがあります。そんな時、yamaは「もったいないなぁ。自己効力感を育てるチャンスなのになぁ。」などと考えています。「勝つこと」=正解に辿り着くことにこだわりすぎて子どもたちの発達や成長に目が向いていない様に感じてしまうのです。ぶながやっ子ハウスでは子どもたちが例え間違っていても、その子なりの答えにたどり着くまでは手も口も出しません。それどころか、一度や二度、間違えたくらいでは教えもしません。「なんか違うなぁ。もう一度やってごらん。」などと言って突っ返すだけです。教えてもらえたり、ヒントをもらえるのは、3回ほど間違えてからです。中には、どうしようもなくなって固まってしまう子どもも出てきますが、そんな時はすぐに気がつく様に何人ものスタッフが子どもたちの間を巡回しています。スタッフには、固まってしまった子どもがいたら適切な対処ができる様に、yamaにすぐ連絡する様にお願いしてあります。
どうしてもわからない子どもや、落とし穴の様な思考にはまってしまって何度も同じ間違いを繰り返す子どもたちには、直接、教えてあげなければなりません。そんな時には、yamaはできるだけ、オープンクエスチョンを使って教える様にしています。「ここはこうすればいいんだよ。」などと教えるのではなく、「ここはどんなだっけ?」、「どうすればいいんだっけ?」などと子どもが考える様に仕向けます。そして、答えを書くときの子どもの様子をよく観察する様にしています。
中には、書く前に「答えは○○かな?」などと口に出してからでなければ答えを書けない子どもがいます。また、答えを書きながら大人の顔を見ながら何度も見る子どももいます。yamaはこんな子どもたちは要注意だと考えています。こんな子どもたちは、答えがあっているかどうか、最後の最後で自分で考えることを諦めてしまっている子どもなのかもしれません。最後の最後、一番肝心なところで大人に依存してしまっている恐れが大きいのです。依存心は「自己効力感」の反対側にあります。依存心が強いと、「自己効力感」はなかなか育ってくれません。
時折、「うちの子は練習問題なら解けるのに、応用問題が解けないんです。」、「計算問題は得意なのに文章題ができません。」などの相談を受けることがありました。多くの場合、そんな子どもたちは読解力がなかったり、思考力や応用力が足りなかったりするのではありません。ほとんどの場合、「自己効力感」が足りないのではないでしょうか。「自己効力感」が足りないために自信が持てず、考える前に諦めてしまっていることが多いのでは、とyamaは考えています。
自己肯定感
一時期、「『自己肯定感』が重要」とか、「『自己肯定感』を育てよう」などとよく耳にしました。多くの方が「自己肯定感」と言う言葉を聞いたことはおありだと思います。ところで、「自己肯定感」とは何なのでしょうか。「自己肯定感」を高めるにはどうすればよいのでしょうか。
実は「自己肯定感」という言葉は比較的新しい言葉なので、今のところまだ、共通で明確な定義はありません。ネットを見ても「自己受容」や「自尊心」、「自信」などと混同しているのではないかと思わせる情報が溢れているようです。
「自己肯定感」とは、「その場に、『自分がいてもよい』とか、『自分がいて当然だ』などと感じる気持ち」だと、yamaは考えています。「自己肯定感」を高めるには、自分の存在を受け入れてもらう経験を積み重ねるしかありません。大人でしたら、リフレ―ミングなどを応用して自分自身で「自己肯定感」を高めることもできるかもしれませんが、子どもたちにそれを求めることにはかなり無理がある様に思います。子どもたちの「自己肯定感」は、大人たちが高めてやるしかありません。
子どもたちの「自己肯定感」を高めるためのキーワードは「失敗」だと、yamaは考えています。
近頃ようやく「自己肯定感」と「失敗許容力」との関係が注目され始めてきました。「自己肯定感」とは、「ありのままの自分」=失敗したり上手くいかなかったりしたときの自分をも受け容れ肯定的に捉える気持ちですから、そもそも失敗を知らなければ、それを受け容れることもできません。失敗を知らなければ「自己肯定感」は育たないのです。子どもたちの「自己肯定感」を育てるためには成功体験よりむしろ失敗体験の方が重要なのです。子どもたちから失敗体験をとりあげないでやってください。もともと子どもたちは失敗を恐れたりはしません。失敗を恐れていたのでは成長することができないからです。子どもたちが失敗を恐れるのは、大人たちが「失敗は悪いこと」と教え込んだり、子どもたちから失敗体験を取り上げてしまっているからです。
子どもたちに失敗を体験させるのに宿題や課題ほど適したものはないのではないか、とyamaは考えています。宿題や課題を少々間違ったくらいでは何の実害もありませんし、失敗の原因を見つけるのもそれほど難しくありません。また、宿題をするのは自分一人の力ですけれど、周りに同じ立場の仲間たちがたくさんいてくれています。間違うのは自分だけではありません。
受援力
困ったときには、一人で問題を抱え込むのではなく、適切な相手や窓口を見つけ出して相談したり助けを求めたりすることが必要です。そんな助けを求める力のことを「受援力」と呼びます。「受援力」がなければ、問題を解決できないだけでなく、かえって深刻な事態にしてしまったりすることもあります。近頃、「自己肯定感」とともに注目され始めている言葉です。
今、助けを求めることが苦手な子どもたちが増えています。お腹が空いて何か食べたいときにも「お腹が空いた。」としか言えません。「お腹が空いたから何か食べさせて。」とは言えないのです。困っているのに、どうしてほしいか、何がほしいか、を言葉に表すことが苦手なのです。
そのままでは、大人になったときに困ったことになってしまいます。精一杯、苦しいことや辛いことをアピールしているつもりなのに、それだけでは、よほどのことでもない限り誰も助けてくれません。然るべき相手のところに出向いて、何に困っているのか、何を助けてほしいのか、自分自身で相談しなければ誰も助けてはくれないのです。それどころか、騙されたり弱みにつけ込まれたりしてしまうかもしれません。
ぶながやっ子ハウスでは、問題を解いていてわからなくてどうしようもなくなったら、子どもたちはyamaのところまで来て「教えて。」と言わなければなりません。教えたり、ヒントをくれたりするスタッフはyamaしかいません。一見するととても不親切に見えるかもしれません。確かに、慣れていなければ他人に「教えて。」とお願いすることには勇気が必要です。でも、慣れてしまえば簡単なことです。それに、自分がわからなくて困っていることや失敗してしまったことは恥ずかしいことでも隠さなければならないことでもありません。しかし、他人の助けを求めたことがなければそんなことにも気づけないのです。そして、「受援力」を持っているからこそ自分の失敗を受け容れやすくなる、「失敗許容力」が育つのです。
ストレス耐性
他の項でも書きましたが、本来、「勉強」とは「嫌なこと辛いことでも我慢して最後までやり通すこと」です。ですから、「楽しい勉強」などありえませんし、あったとしても、それはもはや「勉強」とは言えないものなのです。嫌なことや辛いことを避けてばかりではいられません。いつかは立ち向かわなければならない時が来ます。そんな時に我慢して立ち向かう力のもとになったり、向きあって解決しようとする力のもとになったりするのが「ストレス耐性」です。
「ストレス耐性」が低いと、嫌なことや辛いことからすぐに目を背けたり逃げ出したりしようとしてしまいます。ところが、嫌なことや辛いことからいつでも逃れられるわけではありません。それが原因で病んでしまうことすらあるのです。「ストレス耐性」が引きこもりなどにも深く関わっていると考えられています。
yamaは、「自己効力感」や「自己肯定感」とともに、「ストレス耐性」はいわゆる「ヤル気」や「興味」、「好奇心」にも大きく関わっているだろう、と考えています。「ヤル気」にもいくつかの種類があると思いますが、ここ一番と言うときに必要なのは、やるしかない、と割り切って辛いことや嫌なことに立ち向かう半ばあきらめに似た気持ちだと思います。こんなときに「ストレス耐性」などが低ければ、なかなか割り切ることができないのです。子どもたちの「ヤル気」を引き出したければ、まず「ストレス耐性」を育ててやる必要があると思います。子どもたちの「ヤル気」は待っているだけではなかなか出てこないものなのです。「興味」や「好奇心」も同じです。「ストレス耐性」が低ければ、何かに「興味」や「好奇心」を感じてもそれを長続きさせることはできないでしょう。
子どもたちにとって、宿題や課題は嫌なことや辛いことの代表ではないでしょうか。だからと言って、おだてたり褒めたりしてごまかして取り組ませても子どもたちの「ストレス耐性」は育ちません。嫌なことは嫌だと、辛いことは辛いと認めた上で取り組ませるべきだと思います。そうすることで初めて、宿題や課題に取り組む「学習習慣」や「学習姿勢」を身につけさせることができるのだと思います。そして、それを通して、嫌なことや辛いことは先に済ませてしまった方が楽であること、溜めてまとめてからやるのではなく毎日少しづつコツコツ続けた方が楽であること、などを子どもたちに体感させてやりたいと考えています。嫌なことや辛いことから逃げるだけでなく、どんなふうに向き合えば良いのかを教えてやりたいと思います。
家庭学習とぶながやっ子ハウスの「学習支援」
ご家庭で、ぶながやっ子ハウスと同じ様な「学習支援」を行うのはとても難しいと思います。「自分の家でやってみろ。」と言われたら、yamaにも自信はありません。yamaは普段、15:00~18:00までは「学習支援」にかかり切りです。他のことは一切できません。場合によっては19:00過ぎまで子どもたちの学習に付き合っています。これを一般の家庭で試してみようとしても、まずできないでしょう。ぶながやっ子ハウスでお預かりしているのは、放課後の子どもたちと一緒に過ごしたくてもそんな時間を持てない保護者の子どもたちです。よく「時間は作るものだ」などと言いますが、そんな時間を作ることは多くの家庭ではほぼ不可能です。「子どもの自主性に任せて、最後だけ確認すれば良い」とお考えの方もいらっしゃるでしょうが、それだけでは子どもたちに「結果より過程が大切だ」と言うことを教えてやることは難しいと思います。できるなら、子どもたちがどんなふうに取り組んでいるのか、その様子を誰かがつぶさに見守ってやりたいものだ、と思います。ぶながやっ子ハウスでは、お迎えに来て頂いた保護者に、学習支援時の子どもたちの様子を必ずお話ししています。
また、ぶながやっ子ハウスと言う「場が持つ力」も無視はできません。ぶながやっ子ハウスでは既にその様な習慣、1日の流れができあがっています。子どもたちは、ぶながやっ子ハウスという「場」で他の子どもたちと一緒に過ごしているだけで、そんな流れを身につけてくれるものなのです
yamaも家庭学習は大切だと考えています。しかし、課題や宿題以外にも子どもたちにさせてやりたいことはたくさんありますし、家庭学習だからこそできることがたくさんあります。子どもたちにとってはどんなことでも学習です。一緒にコンビニで買い物したり、散歩したり、星空を観察したり、子どもたちにとってはそんな体験も立派な「家庭学習」、「体験学習」になるのです。そして、そんな体験や家庭学習こそが子どもたちの「興味」や「好奇心」を育ててくれる、とyamaは考えています。
鉄は熱いうちに打て
低学年から勉強や学習の習慣をつけるのは早すぎる、とお考えの方もいらっしゃる様です。確かに「学力」や「学歴」だけを目指すのであればそうだと思います。しかし、「学力」や「学歴」だけではない習慣づくりと考えれば、左利きの矯正の例を見るまでもなく、早ければ早いほど効果も高く、子どもたちにかかる負担も小さいのです。
ぶながやっ子ハウスが目指す「学習支援」は、学力や学歴だけが目的ではありません。子どもたちに「学習習慣」や「学習姿勢」を身につけさせながら、子どもたちの「自己効力感」や「自己肯定感」、「受援力」や「ストレス耐性」などの非認知能力を育み、同時に、家庭での「愛着」の形成を図ることを通して、子どもたちの健全育成を目指すことが一番の目的です。これまで、yamaは多くの子どもたちを見てきました。その中で気づいたことがあります。
「自己肯定感」などの非認知能力のほとんどは、小学校入学前までに芽生え、小学生時代を通して様々に成長変化し、中学生時代以降はほぼ固定されて大きく変化することはない。
yamaは、子どもたちの健全育成には非認知能力の涵養が不可欠だと考えています。近頃になって、スポーツでも勉強でも仕事でも、非認知能力が大きく影響していることが知られる様になってきました。であるならば、子どもたちを健全に育成するには非認知能力を避けて通ることはできないのではないでしょうか。そして、子どもたちの非認知能力を高める目的の「学習支援」を始めるなら、小学生時代をおいて他にないだろう、とyamaは考えています。