このブログで算数の話はよくしているのですが、国語の話はあまりしたことがないように思います。そこで、今回は国語に関するお話しをあれこれしてみたいと思います。
国語は簡単だけど難しい
結論から言わせてもらえば、国語はある程度までは簡単ですが、それ以上のレベルを目差すのは難しいと言えるでしょう。
国語は大きく分けて、漢字や語句、文法、作文、読解などの分野があります。それぞれに必要なものは違いますが、ほぼ全てに共通して語彙力は非常に重要です。語彙力に恵まれれば、それだけである程度以上の国語の成績を取ってくるでしょうし、語彙力が乏しいと、国語で良い成績を望むことは非常に困難です。
「漢字が苦手」な子どもたち
1年生の宿題で「『きゅうじつ』を漢字で書きなさい。」と言う問題に「九日」と書いた子どもがいました。この子に正しい答え「休日」を教えてやるのは簡単です。しかし、重要なのはそこではない様に思います。聞いてみると、実は、その子は「休日」と言うことばを知らなかった(聞いたことがなかった)のです。聞いたことがないのですから、当然、「休日」の意味も知りません。考えてみれば、聞いたこともないし意味も知らないことばを「漢字で書け」と言う方が無茶です。書けるはずがありません。
例えこの子に正しい答えを教えたとしても、それだけでは、この子は恐らく、また同じ問題が出たとしても「休日」とは書けないでしょう。重要なのは「休日」と言うことばの意味です。それだけではありません。さらに言えば、その子が普段の会話の中でそのことばを使っているかどうかです。
実は、「漢字が苦手」と言う子どもたちは、「『漢字』が苦手」なのではありません。「『漢字』が苦手だから書けない」のではありません。「そのことばの意味や使い方を知らないから書けない」のです。つまり、語彙力が足りないのです。こんな子どもたちに漢字の読み書きだけを詰め込んだとしても、効果はあまり期待できません。それよりも語彙力をつけてやった方が、ずっと効果が期待できます。語彙力がない子どもに漢字の読み書きだけをさせるとかえって逆効果になってしまうことも少なくありません。読み書きの練習だけでは語彙力は育たないからです。知らないことばばかり練習させていると、むしろ言葉に対する興味や関心を削り取ってしまうことにもなりかねません。
語彙を増やし語彙力をつける
語彙とは、その人は知っている意味がわかる言葉やその数のことです。語彙力は、それらの言葉を適切に使う能力のことです。意味がわかる言葉は多いけれど、それらの言葉を使いこなすことができなければ、語彙は多いが語彙力は足りない、と言うことになってしまいます。言い換えれば、ことばの知識はあるけれど、ことばを適切に使う知恵が足りない、と言えるのかもしれません。知識だけでは役に立ちません。それを使う知恵があって始めて知識は役に立つのです。
子どもたちの語彙を増やし語彙力をつけるためには、日頃の会話が重要です。日頃から意識していろいろな話題について親子で会話してあげてください。話題が多ければ多いほど語彙は増えます。できれば、それだけでなく、会話の中でことわざや慣用句など、普段はあまり使わないことばを積極的に使ってみてください。親御さんの好きなことや趣味などに子どもたちを付き合わせるのも、とても良い機会になります。普段はあまり使わない用語をたくさん使いますし、手順などの説明には接続語や指示語もたくさん使います。親子で一緒に動画やビデオを見ながら感想を話し合ったりすると、語彙を増やし語彙力をつけるだけでなく、子どもたちの国語に必要な様々な能力を育ててくれます。
「勉強」だけでは足りない。
語彙力をつければ、漢字だけでなく国語全般の力がつきます。ある意味で、机に座ったままで漢字の書き取り練習するよりもずっと効果的だと言えるでしょう。習字ではないのですから、漢字を上手に書き取りしてるだけでは、国語力は伸びてきません。普段の会話の中で漢字をことばとして積極的に使わなければ無意味なのです。
このことは漢字や国語に限ったことではありません。算数にしても理科にしても社会にしても、小学校で学ぶことのほとんどは、子どもたちの日常の生活に密着した内容ばかりです。日常生活が充実しているだけで、充分な学力が得られるはずなのです。子どもたちの学力は、授業の中だけで育てられるものではありません。日常生活の中でこそ育てられているのです。近頃になってようやく「アクティブラーニング(子どもたちが主体的に学ぶ学習法)」などと言い出していますが、yamaはそれでもまだまだ足りないと思います。子どもたちには学校や教室を飛び出させて、様々で多くの体験を積ませ、日常の生活をもっともっと充実させてやるべきです。サラリーマンではないのですから、毎日、学校や習い事と家の往復だけ、のような生活を繰り返させてはならない、とyamaは考えます。
好奇心 ― 語彙力の核心
語彙力をつけるためには、一つ一つのことばを大切にして、知らないことばなら意味を調べてみたり、似ていることばがあれば比べてみたりすることも大切ですが、ことばに興味を持っていなければなかなか実行できません。興味の大元は好奇心です。小さい頃から、子どもの好奇心を育てておいてやりたいものです。
本来、子どもたちは好奇心旺盛です。ところが、近頃はあまり好奇心を持たない子どもたちが増えてきました。好奇心とは「珍しいものや新しいもの、不思議に感じるものごとに対して興味や関心を持つこと」のことです。子どもたちの好奇心を育てたければ、できるだけ「珍しいものや新しいもの」に触れさせてやらなければなりません。「サラリーマンの様な毎日同じ生活」を繰り返していたのでは、なかなか育ってきてはくれません。時間が許す限り、子どもたちを自然の中に連れ出してやってください。自然は絶えず変化しています。季節や時間帯が変われば様子も変わります。同じ場所であっても訪れるたびに、何かの変化があるものです。何度も来たことがある場所で、珍しいものや新しいものを見つけることも少なくはありません。初めのうちは、大人がみつけた珍しいものや新しいものを教えてあげるのもいいでしょう。子どもたちが馴れてきたら、自分で探させてみるのがいいと思います。子どもたちが何かを見つけてきたなら、子どもたちと一緒に驚いたり、喜んだりしてやってください。そして、できれば子どもたちと一緒によく観察してみてください。親御さんにとって苦手なものであったり、多少汚れていたりするようなものでも、けして嫌がったりしないでやってください。そんな体験が子どもたちの好奇心や興味を育てるのです。それ以外にも、特に理科や算数で大切になる観察眼や比較能力、パターン認識能力なども育てられます。これらの能力はいわゆる非認知能力で授業や教室の中では育てることは難しい能力です。
少し前までの子どもたちは、何か新しいもの、見たことがないものを見つけると、好奇心を持って近づいてくる子どもが多かったように思います。ところが近頃は、逆に警戒したり避けたりする子どもたちが増えている様に感じます。「サラリーマンのような毎日同じ生活」を繰り返している子どもたちが増えているのではないか、とyamaは危惧しています。
yama流?漢字練習
子どもたちが、自主学習ノートに漢字練習をする様子を見ながら、yamaはいつも不安と不満を感じています。子どもたちはお手本を写すことに一所懸命で、その漢字や熟語の意味や使い方にはほとんど無頓着です。時には、読み方も知らないまま、お手本を見て写している子どもさえいます。yamaが「この字は何て読むの?」、「○○ってどういう意味?」などと問いかけても、満足に答えられる子どもはほとんどいません。ノート埋めることだけに意識が向いてしまって、読み方や意味、使い方などには興味が向いていないのです。こんな練習ばかりを何度繰り返しても、漢字が得意にはなるはずがありません。むしろ逆効果になるばかりでしょう。どんなに綺麗な漢字が書けるようになったとしても、しばらく経てばすっかり忘れてしまって、作文や日記の中で自分から進んでその漢字を使うことはまずないでしょう。
yamaも以前、塾で努めていた頃、漢字練習ノートの宿題をさせていたことがありました。同じ漢字を何度も書いてばかりいる子どもには「読み方も書いた方がよくない?」、読み仮名付きで何度も熟語を書いてくる子には「そのことばの意味知ってる?」、意味まで調べて書いてくるようになった子どもには「その漢字使って例文作ってみたら?」とか、「おんなじ漢字使った他の熟語はないかな」、「反対の意味の熟語も調べてごらん」、「この熟語の中の一つ一つの漢字の意味はどんなかな?」などと、それぞれの子どもにいろんな注文をつけていました。おかげで、初めのうちはみんな同じような漢字練習ノートだったのが、3ヶ月もするとそれぞれみんな個性的な漢字練習ノートに変化(成長?)していきました。
yamaは、漢字や熟語に限らず、せっかく新しいことばに出会ったのだから、子どもたちには、そのことばのことをいろいろ知ってほしいし、そのことばからいろいろなことを学び取って欲しいと思います。ですから、子どもたちにそんな漢字練習ノートを作らせていました。
子どもたちだけで、こんな漢字練習ノートを作らせるのは難しいかもしれません。もし作らせてみようとお考えなら、漢字練習用のノートを買ってくる前に、まず子どもたちの好奇心や興味を育てておいてあげてください。