「勉強」と「学習」

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他のページでも書いたことがありますが、yamaは「勉強」と「学習」は違うものだと考えています。yamaはよく、「『勉強』と『学習』は違うんだよ。『勉強』ばかりしてると、馬鹿になっちゃうよ!」などと子どもたちにも話しています。

「勉強」と「学習」の言葉に「 」をつけているのは、「ここでは世間一般で使う『勉強』や『学習』とは少し違う意味で使っていますよ。『勉強』や『学習』と言う言葉の意味をよく考えながら読んでくださいね。」と言う注意喚起のためです。

「勉強」と「学習」の違い

辞書で調べてみると、次の様に書かれていました。

勉強
1.無理にでも(=強)努力して励むこと
2.仕事に精を出すこと。
「やあ、相変わらず―しているね」
学業・技能などを身につけようと努力すること
「数学を―する」
今後、事を処するのに役立つ、身にしみる経験。
「今度の失敗は(いい)―になった」
3.商人が品物の値段を安くして売ること。
「せいぜい御―いたします」

 

同じように「学習」について調べると、次の様に書かれていました。

学習
ならい学ぶこと。特に、学校などで系統的に勉強すること。
「―塾」。
心理学で、以前の経験を土台にして新しい適応の仕方を習得していくこと。

(どちらも、Oxford Languagesによる定義です。)

比べてみると、「勉強」には、「努力」や「精を出す」などのキーワードが目立っています。字義について考えてみれば、勉強は「努(つと)めて強(し)いる」学習は「学(まな)び習(なら)う」ですから、当然と言えば当然です。

もともと「勉強」とは「目的のために嫌なことや辛いことでも我慢して最後までやり遂げる」と言う意味だったのです。しかし、戦後、普通教育が拡がったころから、「勉強」≒「子どもたちが学校で『学習』すること、またはその『学習』内容」などと限定される様になってきたのでしょう。世の中が豊かになったせいで、子どもたちが「勉強」しなければいけないことは、学校の「学習」くらいしか残らなかったのかもしれません。特に、1970年代に中部地方を中心に放映された、通信添削学習のTVCMで使われた逆説的なキャッチコピー「楽しくなければ勉強じゃない」は教育業界に一大センセーションを巻き起こしました。多くの教育関連業界の業者がそれに追随した結果、「勉強」から、嫌、辛い、努力、我慢などと言ったキーワードがどんどん削られていってしまいました。そんな風潮に「子どもにはストレスを与えてはならない、与えたくない。」などと考える人たちが飛びついた結果、今では「勉強」と「学習」の違いが分からない人たちが増えてしまっている様にyamaは感じています。

言葉が違うと言うことは、それぞれの意味や使い方、語感などが違うと言うことです。意味や使い方、語感が全て同じであるなら、違う言葉の存在意味はありません。言葉一つ一つの微妙な違いや使い分けを意識することは、読解力や表現力の基礎だとyamaは考えています。

子どもたちには、「勉強」と「学習」の違いをしっかり教えてやるべきだ、とyamaは思います。

子どもたちだけでなく、多くの親御さんたちや、少なからぬ先生たちまで、「『勉強』する意味」について悩んでいらっしゃる様です。「何のために『勉強』するのか」、「『勉強』したことは大人になってから役に立つのか」などなど。中には、悩みすぎた挙げ句に「大人になったら『勉強』したことなどは役に立たない。ストレスになるから『勉強』などさせない方がいい。」などと短絡的な結論に辿り着いてしまう方々までいるそうです。しかし、「『勉強』と『学習』は違う」と言う様に問題を切り分けて考えれば、問題を単純にすることができ、納得できる答えに辿り着きやすくなるはずです。

ここでは、これ以上、「勉強」と「学習」の違いについて触れませんが、一言で言うなら「『勉強』は心を育て鍛えるため」、「『学習』は頭を育て鍛えるため」と言うことになるでしょうか。yamaは、世の中が「勉強」と「学習」の違いに鈍感になるにつれて日本の教育は知育偏重になってしまった様に、感じています。

「勉強」から「学習」へ

「『勉強』は心を育て鍛えるため」のものですから、「勉強」だけしていたのでは、頭は良くなりません。「『学習』は頭を育て鍛えるため」のものですから、「学習」だけしていても、心は強くなりません。「勉強」と「学習」をしっかり区別して、取り組むことが大切だと思います。

小学校から出される宿題のほとんどは、子どもたちにとっては「勉強」です。例え、得意で好きな科目であっても、他にもやりたいことがたくさんある子どもたちにとっては、できることなら、後回しにしてしまいたいところです。(やりたいことが少ない子どもの方が却って心配です。)嫌でも終わらせなければなりません。けして、「やらなくてもいい」、「できなくてもいい」などとは言わないでやってください。
少々嫌なことや辛いことでも、毎日、同じようなタイミングでこなして行けば、やがてそれが習慣になっていきます。実は、嫌なことや辛いことはやり始めが一番精神的にキツイのです。いざ、やり始めてみると、そのキツさが少し減ります。習慣化できてくれば、そのやり始めのキツさも随分、軽減できる様になるのです。
この習慣化することで精神的なキツさが軽減できたと言う体験は非常に重要です。こんな体験の積み重ねが「ヤル気」に影響します。習慣化体験を積み重ねた子どもは、嫌なことや辛いことにでも比較的楽に自主的主体的に取り組むことができる様になります。「ヤル気」を出しやすい子どもに育つのです。「ヤル気」を出すことができるのも能力の一つだ、とyamaは考えています。

「勉強」を習慣化することのメリットは、それだけではありません。筋トレやジョギングなどの経験をお持ちなら、わかって頂けると思うのですが、始めは辛く感じていたトレーニングや運動も、習慣化できてそれに馴れてくると、余裕を持てたり、かえって楽しくなってきたりすることがあります。始めはキツく感じても、馴れてくると日々の変化に気づく余裕が生まれてきます。日々の変化に気がつくとそれに刺激を受けて目標を持てる様になります。目標が持てる様になった頃、嫌で辛かったはずの「勉強」がそれほどキツく感じられなくなっているはずです。そのうちに「勉強」が嫌でなくなり楽しくなる瞬間が必ずやってきます。それは、「勉強」が「学習」になる瞬間です。

一人でも多くの子どもたちに「勉強」を「学習」に変える体験をさせてやりたい、とyamaは願っています。「勉強」はけして楽しいものではありません。嫌で辛いからこそ「勉強」なのです。しかし諦めたり投げ出したりせずに「勉強」と向き合い続けていると、やがてそのキツさを忘れて主体的に楽しく取り組める様になります。そんな体験こそが、yamaが子どもたちに本当に与えてやりたい成功体験、スモールステップではなかなか成し遂げられない成功体験なのです。

繰り返しますが、「勉強」と「学習」は違うものです。混同しない方が良いと思います。楽しく「勉強」させるためにあれこれ苦心したり、むりやり「勉強」好きにする必要もありません。嫌で辛いものをあの手この手で誤魔化して楽しいものの様に見せかけるよりも、嫌で辛いものに向き合う姿勢を身につけさせてやった方がずっと良いのではないでしょうか。

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