yamaは意地悪なんだそうです。子どもたちから「意地悪!」とか「優しくない」ってよく言われます。
意地悪なyama
一番よく言われるのは、宿題を教えているときかもしれません。yamaは学校の先生みたいには優しくないそうです。
答えを教えてくれないyama?
間違えたり、分からない問題を子どもたちに教えるときにも、yamaはなかなか答えを教えません。子どもたちの中には、答えを書く前に口に出して確かめようとする子どもが時々います。yamaの顔を覗きながら、「答えは『12コ』」などと言っています。それなのにyamaは無表情のままです。すると、もう一度また、顔を覗きながら「答えは『12コ』」などと言っています。yamaはそんな時、「そう思うなら、その答えをプリントに書いてご覧よ。yamaは、答えを書くまではあってるかどうか言わないよ。」と言ってやります。すると、子どもから「意地悪!」と言われたりしてしまいます。
子どもの失敗を見て笑うyama?
子どもたちは追いかけっこが大好きです。よく、ぶながやっ子ハウスの前で「ケイドロ」や「しっぽ取り」をして遊びます。逃げ回るのに一所懸命になると、子ども同士でぶつかったり、躓いたりしてよく転びます。子どもが転んだとき、yamaはすぐには駆け寄ったりはしません。子どもが大ケガでもしていない限り、わざと大笑いしながら、「転んじゃったねぇ。」などと言いながら、のんびりと転んだ子どもの側に近寄っていきます。宿題で間違ったときも同じです。「足し算なのに引いちゃったねえ。」などと、さも楽しそうに子どもたちに笑顔で言ってやるのです。そんな時、子どもたちはほんの一瞬、不思議そうな顔をしますが、すぐに照れくさそうに笑ったり、yamaと一緒ににっこり笑ったりしてくれます。
子どもの気持ちが分からないyama?
ぶながやっ子ハウスでは、子どもたちをできるだけ外で遊ばせる様にしています。夏場など、子どもたちは全身汗だらけ、顔を真っ赤にして走り回って遊んでいます。おやつを食べるために部屋に入っても、身体の火照りはすぐには収まりません。そんな時、子どもたちはyamaの周りに寄ってきて、「暑い!」と言います。yamaが知らん顔をしていると、yamaの前まで来てyamaに向かって「暑い!」と言います。yamaが「そうだね。暑いね。」と言ってやると、不思議そうな顔をしながら、yamaに向かって、さっきより大きな声で「暑い!!」と言います。中には「意地悪!」と言い出す子どもいます。それでもまだ、yamaは涼しい顔で「うん、うん。暑いね。だから?」と言ってやるだけです。子どもたちは困った様な顔をして黙り込んでしまいます。そこでやっと、「暑いから何? どうして欲しいの?」と助け船を出してやります。すると、子どもたちはようやく、「暑いからクーラーつけて」、「窓開けてもいい?」などと言える様になるのです。始めから「暑いからクーラーつけて」と言える子どもは、近頃、滅多に見かけなくなりました。
失敗は成功の母
近頃、ことわざをあまり聞かなくなってしまいました。ことわざは昔から受け継いだ知恵です。ことわざから学ぶべきものはまだまだ多いと思います。yamaが好きなことわざに「失敗は成功の母」があります。yamaが、子どもたちの成長には成功体験だけでなく失敗体験こそが大切だ、などとよく言うのはこのことわざのせいかもしれません。
失敗から学ぶべきことはたくさんあります。でも、失敗に目をつぶったり失敗から逃げ出してしまうと、失敗から学ぶことはできません。失敗から学ぶためには、失敗を恐れてはならないのではないか、とyamaは思います。子どもたちには、失敗を恐れず、失敗から逃げ出さず、笑い飛ばすくらいの気持ちで失敗に向き合って欲しいと思います。
受援力
失敗だけに限りませんが、世の中には自分の力だけではどうしようもないことだってあります。そんな時は他人の力を借りなければなりません。大人になったら、どんなに困っている様子をアピールしても、それだけでは誰も助けてはくれません。然るべき人に然るべき方法で「助けてくれ」と言わなければなりません。然るべき方法で然るべきときに助けを求める力を受援力と言います。近頃、この受援力が足りない人たちが増えています。yamaには、職業柄、福祉関係の方々と交流したり情報共有したりする機会もあるのですが、そんな時に時折、話題になることがあります。
周りから見て困っているはずなのに、「助けてくれ」と言えない人たちが増えてきている。何らかの支援が必要であるはずなのに、相談に来てくれない。こちらからアプローチしようとしても、あまり積極的にあってはくれない。いろいろな方法で呼びかけているのに、反応がない。このままでは支援したくても支援できない。
以前は「人に迷惑をかけてはならない」などと躾けるのが普通でしたから、その影響もあるとは思います。でも、自分の力だけではどうしようもなくなったとき、そんな時は他人の力を借りるしかありません。今は様々な制度や社会的資源が準備されていますから、困っているときには積極的に利用するべきだと思います。子どもたちには、この先どんなことが待ち受けているかもしれません。困ったときには「助けて!」と言える力も育てておいてやりたい、と思います。
国語力
近頃、国語力が弱い子どもたちが増えている様に感じます。国語力を育てるには、文章を読んだり書いたりするだけでは足りません。国語の基本はことばですから、国語力を伸ばしたければ、まずは、ことばにこだわることが第一歩です。知らないことばがあれば意味を調べようとする。知っていることばを積極的に使おうとする。そんな姿勢が大切です。そんな姿勢がなければ、どれだけ読み書きの練習をしても国語力は伸びません。人が会話や思考などの中でことばを使う機会は、読み書きの中でことばを使う機会よりずっと多いはずです。ですから、子どもの国語力をのばしてやりたければ、子どもとの会話は非常に大切にしなければなりません。自分の伝えたいことは適切なことばを適切に使って伝えなければなりません。「暑い」と言うことばを聞いただけで、そのことばの裏にある要求を汲み取って対応することを繰り返していると、子どもは自分の要求を適切に伝える力を失ってしまうでしょう。国語力も育つはずがありません。
思考力
それだけではありません。子どもたちの不適切なことばから、要求を汲み取って大人が先走って対処してしまえば、子どもたちの思考力すら失ってしまう可能性すらあるのです。
「暑い」ということばは自分の感覚や感情を表現しただけに過ぎません。本来なら、その後に様々なことを考えるはずです。
「暑い」→「不快だ」→「涼しい風に当たりたい」→「エアコンをつけたい」→「大人に頼もう」
このような一連の考え方(思考)を論理的思考と言います。しかし、「暑い」と言うことばだけで大人が反応して対応してしまうと、子どもたちはこの様に筋道立てて考えることをしなくなってしまいます。そして、使わない能力はどんどん使えなくなってしまうのです。
「意地悪!」などと言われながら、yamaはそんなことを考えています。