ぶながやっ子ハウスでは、子どもたちに、毎日、宿題をさせています。学習効果を考えると、yamaは、間違ったところはすぐに手直しするのがよい、と考えています。時間が経ってしまうと、どんな考え方をしたのか、どこをどんなふうに間違えたのか、を忘れてしまうので、深く考えることができずに、正しい答えや考え方を丸暗記するだけで終わってしまう、言い換えれば「考えずに覚えてしまう学習スタイル」が身についてしまうことが多いからです。学習効果を考えると、子どもたちに宿題に取り組まさせるためには、充分な時間が必要なのです。
「勉強」の教え方
大きく分けると、「勉強」には2種類の教え方があります。
一つ目は「正しい考え方」や「正しい答え」を教える方法です。現在の日本では、「勉強を教える」と言えば、ほとんどがこの教え方になってしまうようです。大昔、yamaが塾で教えていたとき、「家でも教えてやりたいのでテキストの解答をもらえませんか」とおっしゃるご父母が少なからずいらっしゃいました。これらのご父母も「正しい考え方」や「正しい答え」を教える(覚えさせる≒詰め込む)ことが「勉強を教える」ことだと考えていらっしゃったのでしょう。
この方法は、後に述べる方法よりも手間暇がかかりませんので、教える側にとっては楽な方法です。しかし、教えられる側からすれば、「詰め込み」になってしまいやすい方法です。真面目で素直な子どもであれば真面目で素直な子どもであるほど、教えられる側は自分であれこれ考える習慣をどんどん失ってしまいます。先生たちの説明を一所懸命に覚えようとしたら、聞くことに集中してしまって、自分なりに考える余裕がなくなってしまうからです。
もう一つは、「間違えない考え方」や「間違えない対策」を教える方法です。子どもたちと一緒に問題を考えながら、「間違い」の原因を探しその対策を見つけてやる方法です。この方法では必ず、まず子どもたちに考えさせますから、ただの「詰め込み」にはなりません。子どもたちに「考える」習慣をつけてやることができます。ただ、間違いの原因だけでなくその対策まで探さなければなりませんので、手間暇もかかりますし、ある程度の経験も必要です。ほとんどの親御さんは数人の子どもしか見たことがないでしょうし、教えたこともないでしょうからなかなか難しいと思います。学校の先生方でも経験の浅い先生や、若い先生方には難しいかもしれません。
答え合わせと間違い直し
あまり区別されていない方も多いのですが、答え合わせと間違い直しは違うものです。答え合わせは正解を聞いて回答に○✕をつけること、間違い直しは間違った原因を見つけて、誤答を正解に換えることです。本来、答え合わせが終わったら、すぐに間違い直しをするのが望ましいと思います。答え合わせだけで終わってしまったら、あまり学習効果は期待できません。間違いを直さずにそのままにしていると、間違った考え方を身につけてしまうかもしれないからです。ですから、ぶながやっ子ハウスでは、宿題が終わったら、すぐに答え合わせをして、間違っていたら間違い直しまでさせる様に心がけています。時間もかかりますし子どもたちの負担も大きくなってしまいますが、せっかく頑張って終わらせた宿題なのに、効果がなかったり逆効果になってしまったりするなら、やらない方がまだマシです。
子どもたちと一緒に間違い直しをしていると、子どもたちの間違いにはいろいろな原因があることがわかってきます。そして、それらの原因のうちの多くは、子どもたちが悪いのではなく、教える大人たちの側にも責任があることも見えてきます。
教えるのは難しい
教える側の時間や気持ちにゆとりがあればいいのですが、いつもそうであるとは限りません。実際は、ゆとりがないことの方が多いのではないでしょうか。実は、そんな時は教えない方がよいのです。いいえ、むしろ、教えてはいけない、と言った方がよいのかもしれません。
これは、ある小学2年生の実際の間違いです。よく見ると、答えは合っているのに式が間違ってしまっています。この間違いには、様々な原因が複雑に絡んでいます。本人に確かめてみたところ、問題文に「ぜんぶで」と書かれているので、足し算を使って答える問題だと思ったそうです。詳しく尋ねると、まだ1年生のときに、「『ぜんぶで』と書かれていたら足し算を使う」と誰かに教えられたそうです。それを覚えていたので足し算の式を書いた、と言うことでした。
おそらく「『ぜんぶで』と書かれていたら足し算を使う」と誰かが教えたときはまだ、足し算と引き算しか習っていなかったのでしょう。それで「わかりやすく」教えるつもりで、子どもでも「簡単に早く」答えを出せる様に、と考えて、そんな風に誰かが教えてしまったのだと思います。その時はそれでよかったのですが、2年生になってかけ算を習ったときに、事情が変わって辻褄が合わなくなってしまったのでしょう。他にも「4本」を「4m」と読み違えていたり、「m」に「m」をかけるなどの間違いもしているようです。
実は、子どもたちに「わかりやすく」教えてやるとき、とくに「簡単に早く」答えを出すことができる解き方を教えてやるときには、詰め込みになってしまわない様に十分に注意しなければならないと思います。残念なことに、この子は「『ぜんぶで』と書かれていたら足し算を使う」と教えられたために、足し算と引き算の違いや使い分けを自分で考える機会を奪われてしまったのです。かけ算を習ったときにも同じ様に、その意味や使い方を十分に身につけることができなかったのでしょう。そのために画像の様な間違いをしてしまった、と考えられます。
小学校の算数の中で、速さや濃度の問題は難しいと言われることが多い単元です。この様な単元は、できれば実験などを繰り返して、体験的に速さや濃度の考え方をまず身につけさせてやるべきです。ところが、ほとんどの現場ではその様な体験をさせることなく、公式を丸覚えさせようとします。その結果、答えは出せるのに、なぜそうなるかが解っていない子どもたちばかり増えてしまいます。
先ほどの間違いをした子どもにどこか似ていませんか。
これは「ゆとり教育」のせいで授業時間数が減ってしまったためですから、仕方がないと言えば仕方ないことなのですが。
教えるより考えさせる
yamaが子どもたちに学習を教えるときに、気をつけていることがいくつかあります。
一つ目は、正しいことを教える(覚えさせる)より、まずは、間違ってもいいから自分で考えさせることです。宿題の目的は、子どもたちに、今、目の前にある問題を解かせることではありません。これから先、子どもたちが、今、目の前にある問題と似ている問題に出会ったときに解ける様にしてやることが目的のはずです。そのためには、一つ一つの問題をよく考えさせることが大切です。特に、似ているけれども別の問題との違いを区別させてやることが重要です。人間は似ているけれどちょっと違うことを区別するのが苦手です。そのちょっとした違いを区別することは、学習の大きな目的の一つです。子どもたちがこの区別を充分にできていないと、「ケアレスミス」を繰り返す様になってしまいます。「ケアレスミス」を繰り返すうちに理解が追いつかなくなって混乱し始めます。それを繰り返すうちに「勉強嫌い」になってしまうことも多いのです。
公式や解き方だけを教えて、子どもたちから考える機会を奪わないでやって欲しいと思います。
理解しただけでは定着しない
その次は、子どもたちがその問題を解けたからと言っても、すぐには安心しないことです。学習を教える目的は、子どもたちが目の前の問題を「理解」させることだけではありません。同じ様な種類の問題を、子どもたちが誰の助けを借りないで自分の力だけで解ける様にしてやらなければなりません。「理解」することと「定着」させることは違います。「わかっちゃいるけどやめられない」のが人間です。「理解」させても「定着」したことにはなりません。「理解」させたことを何度も反復させることで、初めて、自分でできる様になる、つまり「定着」するのです。ぶながやっ子ハウスではそのために、時間が許す限り、似た様な問題を繰り返し練習させる様にしています。
学校では「ゆとり教育」のせいで、「理解」させるための体験の時間だけでなく、「身につける」ための練習の時間も足りなくなってきています。その上、「漢検」や「到達度テスト」等の練習をさせてしまうと、ますます時間は足りなくなってしまうでしょう。時間が充分にないと、手っ取り早く教えようとしてしまいます。手っ取り早く教えてしまうと、子どもたちの「理解」が追いつきません。「定着」させるために練習量を増やせばますます時間が足りなくなってしまう。こんな悪循環を繰り返していると、問題はますます大きくなってしまうばかりです。「ご家庭ではあまり宿題をさせないでください」とyamaが言う理由の一つはこれなのです。ぶながやっ子ハウスでは、放課後に子どもたちと充分な時間を過ごすことができないご家庭の子どもたちをお預かりしています。充分な時間がなければ、宿題に充分に取り組むことも難しいのです。
うまく教えるためには
それでは、時間をあまりかけずに、子どもたちに宿題や学習をうまく教えてやる方法はないのでしょうか。いいえ、けしてそんなことはありません。教えられる側の子どもをよく見て研究するなどして教える側の大人のスキルをあげる、なども一つの方法だと思います。しかし、この方法は大人の側の負担が大きく、なかなか現実的とは言えません。
一番よい方法は、子どもたちの持つ能力や特性を予め高めておくことです。例えば注意力や観察力のある子どもや関心や好奇心が強い子どもなら、ちょっとした違いにも気づきやすいでしょう。また、大人からの説明を聞くときでも、自分も一緒に考えながら聞く子どもと、ただ聞き流すだけの子どもでは、理解の度合いがかわってくるでしょう。これには主体性や語彙力、聞き取る能力などが関わっていることが想像できます。学力や成績だけにかかわらず、様々な能力や特性、多くの非認知能力や情操が子どもたちの生活に関わっています。ところが実際には、これらの能力や特性が不足しているために、学力や成績が伸び悩んだり、さまざまなことで苦労している子どもたちがたくさんいます。宿題や「勉強」の練習だけさせていたのでは、これらの能力や特性は伸びてきません。これらの能力や特性は親子の会話や共通体験を通して培われるのです。
「勉強」に限らず、子どもたちに何かをうまく教えたい、とお考えであれば、教えることは一旦やめて、親子の会話や共通体験を増やしたり質を高めたりしてあげてみてください。
教えるべきことは「勉強」ではありません。
実は、子どもたちに「勉強」を教えるときに一番大切なことは、何を教えるべきかです。
「『勉強』を教えるんだから、『勉強』を教えればいいじゃないか。」と考えてしまいがちですが、そこでもう少し深く考えてみて頂きたいと思います。
何のために子どもたちに「勉強」をさせるのでしょう。「勉強」の目的とは何でしょうか。目的を忘れてしまっては、教える意味がありません。逆効果になってしまうこともあり得ますし、実際にそうなってしまっている様子も、yamaはたくさん見てきました。
教えるべきことは「勉強」そのものではありません。子どもたちに教えるべきは「勉強」の取り組み方や姿勢、言い換えれば、「勉強」のしかただとyamaは考えています。実は、答えがあってるかどうか、などは枝葉末節でしかないのではないか、と思います。
以前にも書いたことがありますが、「勉強」にはもともと学習の意味はありません。「勉強」と学習は全くの別物なのです。「勉強」とは「勉(つと)めて強(し)いる」ことです。本来は、「例え嫌なことでも我慢して、やるべきことを最後までやり遂げる」と言う意味だったのです。子どもたちが成長した後、たくさんの「嫌だけど我慢してやらなければならないこと」に出会うはずです。そんなとき、子どもたちが逃げ出したり臆したりせずに立ち向かっていける様に、練習させることが本来の「勉強」の目的なのではないでしょうか。