今日は、成績(学校などの評価)がよい子ども、勉強ができる子ども、地頭がよい子どもの違いについて考えてみたいと思います。
成績のよい子ども、勉強ができる子ども、地頭がよい子ども
yamaはこれまで、数千人の子どもたちを見てきました。その中には、成績のよい子ども、勉強ができる子ども、地頭がよい子ども、などもいました。これらの子どもたちは似てはいますが、それぞれ少しずつ違うのではないか、とyamaは考えています。確かに、中には三拍子揃った、成績もよく、勉強もできて、地頭の良さそうな子どももいなかったわけではありませんが、勉強はできるのに成績はそれほどではない子ども、地頭は良さそうなのに勉強ができない子ども、成績はいいのに地頭が良さそうには見えない子ども、などの方が圧倒的に多くいました。
成績のよい子ども
いわゆる成績のよい子どもは、多くの場合、「真面目で素直な子ども」であることが多かった様に思います。言い換えれば、大人から好かれるタイプの子ども、と言えるのかもしれません。宿題や課題も無難に卒なくこなしあまり手抜きもしません。言われたことも素直に従うタイプです。全てがそうであるとは限りませんが、あまり主体的に考えず、他人から言われるままに従ってしまうタイプの子どもも多く含まれる様に感じます。
勉強ができる子ども
いわゆる勉強ができる子どもには「要領のよい子ども」が多く含まれている様に、yamaは感じています。覚えるのが得意で、習ったことはすぐ身につけて使える様になります。ただ、どちらかと言えばせっかちな子どもが多く、細部にまで目が行き届いていません。そのせいで、ケアレスミスも多いのですが、すぐにやり直しするのであまり目立ちません。ミスをしても間違った原因を探すことなく、一からやり直そうとします。
地頭がよい子ども
いわゆる地頭が多い子どもには「こだわりを持つ子ども」が多いのではないでしょうか。教えられたことをそのまま身につけるのではなく、自分なりの解釈をしてから飲み込んでいく、ある意味で頑固な印象をyamaは持っています。頭の回転が速い場合には、いわゆる勉強ができる子どもと区別しにくいのですが、ミスをしたときの様子が違います。どこをどう間違ったのか、自分で納得できるまで間違いの原因を掘り下げて考えることがあります。
ここに挙げた特徴は、これまでyamaが見てきた子どもたちから得たイメージでしかありません。全ての場合に当てはまるとは限りませんし、それぞれの特徴が重なることもあります。また、それぞれの境界は曖昧でいわゆるスペクトラムの様な分布なのではないかと思います。
気をつけてあげてほしいこと
ここで一番気をつけてあげて欲しいのは、「成績のよい子ども」です。子どもたちの評価は大人がつけていることを忘れてはいけません。極端な場合、実力は伴わないのに大人の受けがよいので「成績がよい」、などと言うこともあり得るのです。子どもたちを「真面目で素直」に努力する様に育てることが、日本の教育や子育ての目標の一つですから、その様なことも起こってしまうのです。「真面目で素直」に努力すれば勉強もできる様になりそうですが、必ずしもそうとは限りません。間違ったやり方でどれだけ努力しても、効果は期待できないからです。例えば、がんばりノート(自主学習ノート)に教科書を丸写ししたり、色彩豊かに綺麗に写したり、漢字のお手本を写したりしても、それだけではほとんど効果は期待できません。大人は、こどもたちが教科書の説明や漢字のお手本を何度も写すうちに、自分でいろいろなことを考えたり調べたりするだろうと思うのでしょうが、「真面目で素直」な子どもは「写せ」と言われたら、「写す」ことで頭がいっぱいになってしまいます。「考えろ」とか「調べろ」と言われても、具体的に何をどの様にすればいいのかわかりません。このタイプの子どもたちは、条件判断やパターン識別が苦手なことが多い様です。条件分岐が多い問題や少し複雑な手順が得意ではありません。そのため、繰り下がりの筆算やあまりのある計算、四捨五入などで躓くことがよくあるようです。また、学年が進んだときに、自分の実力が足りないことに気づくことがありますが、主体的に考えて行動する習慣が育っていないことが多く、いろいろと苦労することもある様です。
次に気をつけたいのは「地頭のよい子ども」かもしれません。自主的に考える習慣がある反面、得手不得手や好き嫌いがはっきりしていることが多く、「やりたくない」と決めたことにはなかなか手を出そうとしません。科目や単元によって成績や得点にバラツキがあることもあり、完璧を目指したがる大人から見れば、苦手の部分が歯がゆく映ってしまいます。それで苦手な部分ばかり練習させられたりすると、得意だったところの興味や関心までも失ってしまうこともある様です。プライドが高いことも多く、一度、へそを曲げてしまうと、とても厄介になってしまうのもこのタイプに多い様に感じます。反面、このタイプは乗せられやすいタイプでもあるので、得意なところと一緒に苦手なところまで、意識的に褒めたり持ち上げたりしてやれば、その気になって伸びることも多い様です。自分なりの解き方にこだわってしまうために、場合によっては理解したり身につけたりするまで時間がかかることがあり、大人が一所懸命に教えてやっても、なかなか言うとおりにならない頑固なところがあったりもします。そのせいで、大人たちの受けがよくなかったり、大人によって評価がバラバラだったりします。大人との相性が大きく影響するタイプです。
「勉強ができる子ども」は要領がよいことが多いので、高校に進学する頃まではあまり苦労はしないことが多い様です。競争心も強いので、人より早く解くことにこだわります。間違いを軽視したり、隠したがる傾向が強く、少々のミスではあまり真剣に見直そうとしないタイプでもあります。そのため、方向転換や修正に時間がかかり、問題を深刻化してしまうこともある様です。また、「負け」を嫌うので、自信がないことではあまり競争や勝負をしたがりません。そのくせ、不平等には敏感で、他と違う不利な扱いを受けるとすぐにへそを曲げてしまうことも多い様です。一方で、特別扱いされると実力以上の力を発揮することが多いのもこのタイプかもしれません。「ご褒美」に弱いタイプと言えますが、「ご褒美」を与えすぎると図に乗りすぎて逆効果になりやすいタイプとも言えるかもしれません。また、人の目に敏感で、書く前に答えを口に出して、周りの大人の表情などから正誤を見極めようとすることも少なくない様です。
生まれつきの違いではない
「成績のよい子ども」も「勉強ができる子ども」も「地頭がよい子ども」も生まれつきが違うのではありません。育った環境や子育ての仕方などの違いにより、どのタイプの子どもに育つか、が決まるのです。言い換えれば、どんな子どもでも「成績のよい子ども」や「勉強ができる子ども」、「地頭がよい子ども」に育てることができる、とyamaは考えています。大切なのは、子どもたちがまだ小さいうちから、どんな子どもに育って欲しいか、明確なビジョンを親が持っておくべきだと思います。
子育てに失敗や間違いはつきものです。しかし、受け取り方は個々の状況によって様々です。同じ様な出来事でも重大な失敗と受け取られたり、そうでなかったりします。明確なビジョンがあれば、今後、どの様な失敗が起こるかがある程度は想定できる様になるでしょう。そんな失敗の中から是非とも避けるべき失敗について、予防策も立てやすくなるはずです。後になって「こんなはずじゃなかったのに」と考えることも減るでしょう。