我が輩の辞書には「不可能」と言う文字はない
これはフランス皇帝となったナポレオンが副官に送った手紙の中の言葉だそうです。ナポレオンの逸話としてもっとも有名な言葉ではないでしょうか。
もう何十年も前になりますが、yamaがまだ塾の講師をしていた頃、yamaも子どもたちに向かって「yamaの辞書にも不可能という言葉はない。yamaには不可能なことはない。」などと言う話をよくしたものです。こんなことを言うと、子どもたちはすぐムキになって「空を飛べるの?」、「魔法が使えるの?」、「総理大臣になれる?」などと、色々なことを聞いてきます。yamaはそんな質問を笑ってうなづきながら聞き流していました。そのうちに子どもたちは「じゃぁ、飛んで見せて!」、「変身してよ。」などと口々に騒ぎ始めます。yamaはその頃になってようやく、子どもたちに答えてやるのです。
「今はまだできない。」
yamaが「今はまだできない。」と答えてやると、子どもたちはいっそう騒ぎ始めます。
「やっぱりできないさぁ。」、「嘘つき!」、「不可能じゃん。」などなど、それこそ言いたい放題です。
子どもたちのそんな言葉を、yamaはとぼけた顔で聞き流します。そして、子どもたちが少し落ち着くのを待って、やがて話し始めるのです。
「『まだできない』と『不可能』は違うぞ。」
「『まだできない』はできるかもしれないから、『やってみよう』、『できるまで練習しよう』って気持ちだよ。何度もやってみるうち、そのうちにできる様になるかもしれないさぁ。」
「自分で『不可能』って決めちゃったら、挑戦しなくなっちゃうよね。そうしたらいつまで経っても本当にできなくなっちゃうんじゃないかな。」
「今は『まだできない』ことがあっても『不可能』だって決めつけたり諦めたりするより、『まだできない』だけ、『不可能』じゃない、って思ってた方がいいと思わない?」
できなくてもいい? まだできなくてもいい?
何かに失敗して気落ちしている子どもや、宿題がわからなくて困っている子どもに向かって「できなくてもいいんだよ」などと慰めている親御さんたちを見かけることがあります。でもyamaは「まだできなくてもいいんだよ。」などと言うことはあっても、子どもたちに向かって「できなくてもいいんだよ。」とはけして言いません。
たった二文字の違いですが、「できなくてもいいんだよ。」と「まだできなくてもいいんだよ。」では大きな違いがあると、yamaは考えているからです。
「できなくてもいいんだよ。」と言う言葉は、実は「あなたにはできない。」と言っているのと同じです。子どもたちに「あなたにはできないんだよ。」と教えているのと同じです。慰めるつもりで子どもたちの努力や可能性を否定してしまっているのです。子どもたちにこんな言葉をかけ続けると、知らず知らずのうちに子どもたちはやがて自信を失っていきます。それだけではありません。「このままで、できなくてもいいんだ。」などといつか諦めてしまったり甘えてしまったりするようになるかもしれません。
それに対して「まだできなくてもいいよ。」と言う言葉は、子どもたちの努力や可能性までは否定していません。その言葉のあとに「いつかできる様になるさぁ。」と付け加えてやれれば完璧です。子どもたちに「いつかはできる様になりたいなぁ。」と言った気持ちを育ててやることができるmpげはないでしょうか。
子どもたちの可能性
「子どもたちには無限の可能性がある」などと言われることがあります。子どもたち自身がその可能性を信じることができるかどうかが、子どもたちの人生に与える影響は計り知れないほど大きい、とyamaは思います。ですからこそ、是非とも自分の可能性を信じることができる子どもたちに育ててやりたいものだと考えています。
自分の可能性を信じる子どもたちを育てるためには、まず親や保護者、周りの大人たちが子どもたちの可能性を信じてやらなければならないのではないでしょうか。もし子どもたちの可能性を本当に信じていたなら、「できなくてもいいんだよ。」などの声かけはできないのではないでしょうか。「まだできなくてもいいんだよ。」と自然に声をかけてやれる様になるのではないでしょうか。
子どもたちの可能性を信じてやってください。それだけで子どもたちへの普段の接し方や声かけが少しずつ変わってきます。一つ一つはほんの少しの違いしかないと思います。けれども、そのほんの少しの違いが積み重なって子どもたちの意識が変わってゆくのです。子どもたちの自己効力感や自己肯定感を育ててやりたければ、まず子どもたちの可能性を信じてやってほしいと心から想います。
例え発達障碍を抱えている子どもたちであっても発達しないわけではありません。発達障碍を抱える子どもたちこそ、可能性を信じてやって欲しい、とyamaは思います。発達障碍を抱える子どもたちの発達の様子や順番は他の子どもたちとは全く違うことが多い様に思います。なかなか変わらないな、と思っていたのに、何かのきっかけで突然、見違えるほど大きく発達することもあります。反対に周囲の環境の変化(特に対人関係の変化)によって大きく退行してしまうこともある様に感じます。
発達障碍の子どもたちの中には、細かな情緒や曖昧な表現を読み取ることが苦手で、言葉通りに物事を捉えてしまう子どもたちもたくさんいます。そんな子どもたちに、普段から「できなくていいんだよ。」などと声をかけてしまったらどうなるか、考えてみてください。発達障碍を抱えている子どもたちに「あなたに○○できないのは、発達障碍のせいです。あなたは発達障碍だから、できなくてもいいんですよ。」などの声かけをしているところを、yamaはこれまでに度か見たり聞いたりしたことがあります。そのたびに、yamaは胸が締め付けられる様な気持ちになります。yamaがもっとも危惧するのは、グレーゾーンと言われる子供たちです。グレーゾーンと言われる子供たちにそんな声かけばかりしていると、「グレー」が「グレー」でなくなってしまうのではないかと、気が気ではなくなるのです。
yamaがまだ塾の講師をしていた頃、4年生のクラスに「発達障碍」を抱える男の子がいました。その頃はまだ、「発達障碍」と言う言葉もあまり知られていませんでした。その子は、授業中も手遊びや落書きに夢中になったり、突然、授業に全く関係のない言葉を叫んだりすることもありました。他の講師からもあまりよい評判は聞こえてきませんでしたし、同じ学校に通う子供たちや父母から、学校でも苦労しているらしい様子を聞くこともありました。ところが、この子は幸いなことに標準以上の記憶力や思考力を持ち合わせていたようでした。バラツキはあるものの科目や単元によっては、かなりよい成績を修めていることもありました。
ある日、いつもの様に授業中に関係のない言葉を何度か叫んだその男の子を、yamaは立たせました。そして、クラスの子供たちに話し始めました。
「コイツは変に見えるだろう?」
「授業中に変な言葉を叫んだりするし、よそ見ばっかりしてるし。」
「でもな、コイツはすごいんだよ。」
「この前、みんなが解けなかった○○の問題をコイツは解けたんだよ。」
「遊んでるだけみたいに見えるかもしれないけど、聞かなければいけないところは聞いているんだよ。」
「みんなとは違うかもしれないけど、こんな奴もいるんだよな。」
その後も何度か同じ様な話をしました。時には、その男の子が騒ぎ出したときに、それをイジリながら授業を進めたこともあります。そのうちに、その男の子を厄介者扱いする子どもはクラスにはいなくなりました。しばらくした頃、気がつくと、その子の手遊びやよそ見が減っていました。それだけでなく、それまで苦手だった科目や単元の成績も上がり始めたのです。
今となっては何がその子を変えたのか、調べる術もありません。けれども、発達障碍を抱える子どもも、グレーゾーンと言われている子どもも、けして発達しないわけではありません。子どもに接する大人たちは、その子がどんな子どもであっても、接している子供たちの可能性を信じてやらなければならないのだと、強く心に感じた出来事でした。