親は子どもに期待するもの
親は子どもに期待して当然だと思います。
yamaは近頃流行の期待しない子育てには大反対です。
期待と信頼は裏返しです。
期待されるのは信頼されているからです。
そしてまた、期待に応えるからこそ信頼されるのです。
信頼されることで自己肯定感や自己効力感も高まります。
ある意味で、期待しないことは信頼しないことに等しいと思います。
信頼関係を結ぶことは人間関係において非常に需要なことです。
極論すれば、期待されないまま育てられた子どもは人間関係で苦しむことになる恐れが大きいのではないか、とyamaは考えています。
子どもたちに期待しないこともよくありませんが、期待しすぎることも問題です。
何でもかんでも期待してよい、とは思いませんし、何もしないで期待だけしてればよい、などともけして思いません。
yamaが子どもたちに期待することは単純です。
yamaは子どもたちには幸せになってほしいと願っていますし、幸せになってくれることを期待しています。
しかし、yamaが考える幸せの形と子どもたちが望む幸せの形はけして同じではないことを知っています。
そして、子どもたちは、自分が望む幸せがどんなものかをまだわからずにいると思っています。
ですから、子どもたちに、自分の望む幸せの形を自分で見つける力を育ててやりたいと考えています。
親がなくても子は育つ、などと言いますが、子どもが幸せになれるかどうかはわかりません。
自分の望む幸せの形を見つける力を育てるには、親の影響を無視することはできないと思います。
だからと言って、「成績を良くすること」や「○○に進学すること」、「お金持ちになること」が子どもたち一人々々の幸せだと決めつけるのは、過干渉だと思います。
けして良い学校へ進学することや、成績を上げることが悪いと言っているわけではありません。
しかし、、、
①:子どもを幸せにするためには良い学校に行かなければならない。(行かせた方が良い)
②:そのためには良い成績を取らせなければならない。
③:だから多少無理してでも勉強させなければならない。
と言う考え方は少々、短絡的で過干渉すぎるのではないか、と思います。
yamaの考え方は逆です。
①:自分で幸せを身につける力を子どもにつけてやりたい。
②:そのためには色々な力を育ててやりたい。
②A:諦めずに自分で最後まで考える習慣を育てたい。
②B:色々な本も読ませたい。
②C:友だちと仲よく遊ばせたい。
②D:自然の中で様々な体験をさせたい。
……
③:それまでに育てた能力を活かしてやりたい
③A1:新しい習いごとを始めさせてみたい。
③A2:DIYや料理に挑戦させてみたい。
③B1:図書館に通わせてみたい。
③B2:大きな書店に連れて行ってみたい。
③C1:子ども会や母親クラブに入会してみたい。
③C2:近所のお母さんたちと仲良くなっておきたい。
③D1:テントでキャンプさせてみたい。
③D2:自然体験教室に通わせてみたい。
……
始めに何か一つ小さなことを始めると、子どもたちは成長しながらどんどん変わっていきます。
その様子を見ると、また何か一つやらせたくなるものです。
「這えば立て、立てば歩めの、親心」と言う川柳がありますが、正にそんなところです。
そうやって色々なことに挑戦させたり、様々な力をつけさせたりしてきた結果、良い学校に進学することだって、当然あるでしょうし、他の選択肢を選ぶことだってあるでしょう。
仮に良い学校に進学したとしても、それはいろんなことを試してきた結果が良い学校に進学することになっただけのことでしかありません。
そして、けしてそこでお子育てや教育が終わるわけでもありません。
良い学校に進学させるために、色々なことを試すのではありません。
子育てや教育とは、子どもが生まれた瞬間から将来のことを見据えて、子どもの様子を見ながら様々なことを試すことだと思います。
初めからゴールを決めるのではなく、一人一人の子どもの様子を見ながら行く先を探したり確かめたりするものだと思います。
yama家の子育て
前のブログでyamaの母親の話をしましたので、今度は、yamaの子育てについて話してみたいと思います。
yamaは男ですから、長男がまだ小さい頃は、何も子育てを手伝えませんでした。
夜中に泣き出したときに抱っこしてあやしたことの記憶くらいしかありません。
yamaが子育てを始めようと思ったのは、長男が保育園に通う前だったと記憶しています。
当時住んでいたところの近くの海へ長男をよく連れて行きました。
砂浜や岩場、潮だまり、色々な場所を連れて歩きました。
見つけた生き物を見せたり触らせたり、遊ばせたりしました。
それが、yamaが始めて長男にした子育て、教育でした。
海に連れて行ったのにはそれなりの理由と目的があります。
普段、見たこともない環境に身を置かせて適応力を育てること。
色々な場所を歩かせることで身体能力や機動力を高めさせること。
世の中には近寄って探せば色々なものがあることを教え探究心を育てること。
自然の美しさや素晴らしさ、偉大さを素直に受け容れられる感受性を育てること。
長男が10年後、20年後にどうなるかなど、これっぽっちも考えていませんでした。
長男が宝物のように大切だから、そうしてやりたかったのではありません。
その時、yamaが長男の身につけさせてやれるものは何か、精一杯考えてのことでした。
yamaの子育てに対する考え方の基本は、この時からほとんど変わっていません。
鉄は熱いうちに打て
yamaが塾で働いていた頃、親御さんたちから何度も尋ねられた質問があります。
「何年生から塾に通わせれば良いでしょうか?」
正直、yamaはこの質問が大嫌いでした。
と言うのは、本音と建て前が違うからです。
塾の講師という立場からすれば、「早ければ早いほど良いです。」と答えるべきところです。
しかし実際にはそうでもないのです。
確かに、全般的には入塾学年が低いほど志望校の合格率も高い傾向があります。
しかし、そうとばかりも言えないのです。
2年生や3年生から長く塾に通っているにも関わらず、志望校に合格できなかった子どもたちも少なからずいます。
逆に、それまで塾などに通わず普通に過ごして来たのに、5年生の後半や6年生の夏休み頃に入塾して難関の志望校に合格していく子どもたちも、多くはありませんが、毎年必ずいるのです。
ですから「塾に通わせ始める最適な年齢は子どもによって違う」と言うのが、事実に近い、嘘ではない答えだと思います。
しかし、yamaはいつも心の中では違う答えを考えていました。
「ご家庭で今までにどんな能力をどれくらいまで育ててきたかによります。」
30年ほど進学塾などで勤めてきた経験から言わせて頂くと、入塾時点での学力は合否にはあまり関係ありません。
形ばかりの入塾テストも行っていましたが、その点数だけではその子どもがどれほど伸びるかまではわかりません。
yamaが入塾テストの結果で注目して見ていたのは、どうやって答えを出そうとしていたか、と言うところです。
多くの子どもたちは、難しい問題を解こうとしたとき、悪戦苦闘した跡を残します。
国語では、設問に印をつけていたり長文に何か書き込んでいたりします。
算数でも筆算や式が残っていたり、図に印をつけていたりするものです。
一番良くないのは、解こうとした跡もなく回答も書かれていない答案です。
このタイプの子どもは、問題を解く時間がたりなくなったか、解こうとしたがわからないので諦めてしまった子どもたちです。
次に良くないのは、それほど跡は残っていないで回答が間違っている答案です。
このタイプの子どもは、じっくり考える習慣が育っていない子どもです。
早合点したり、解き方を覚えしまおうとするタイプです。
一番良いのは考えた跡がたくさん残っているだけでなく、それらが見やすくまとめられている答案、いわゆる試行錯誤の跡が垣間見える答案です。
答えが合っていればなおさら良いです。
このタイプの子どもたちは、じっくり考えるだけでなく論理的に整理しながら考えることができます。
こんな姿勢や習慣を持っている子どもたちは、入塾するとまるでスポンジが水を吸い込むように、次々と新しい知識やテクニックを身につけていきます。
5年生や6年生になってから入塾したのに、難関校に合格していくのはこんな子どもたちです。
確かに、塾に入ればそれなりに成績を上げることはできます。
しかし、塾に入ったからと言って、必ず志望校に合格するわけでも、頭が良くなるわけでもありません。
実は、入塾する前に勝負は決まっていたのです。
塾で習う知識やテクニックは、思考のための材料や道具でしかありません。
どんなに素晴らしい材料や道具に恵まれても、最終的にはそれらを使う者の力量の差がものを言うのです。
塾に入る前の子どもたちにどんな能力をどれだけつけてやれたか、が大切なのです。
○○年生になったからそろそろ塾にでも入れてやろうか、と考えていたのでは遅いのです。
塾に入れたいと考えるなら、塾に入れるずっと前、小学校に上がるか上がらないかの頃から、それを意識して子育てや教育をしておいてやるべきだ、とyamaは思います。
じっくり論理的に考える姿勢や習慣
5年生や6年生になってから入塾して難関校に合格していくような子どもたちはけして多くはありませんが、確かに存在します。
そんな子どもたちは、どのようにしてじっくり論理的に考える姿勢や習慣を身につけたのでしょう。
こんな姿勢や習慣は教えてやることはできません。
実践の中で身につけさせるしかありません。
どんなに時間がかかっても自分の力で答えにたどり着く経験を積ませてやるしかありません。
早く解かせようとしたり、同じ問題を繰り返しやらせたりしては、逆効果になります。
横で見ていて、間違っていることに気づいても黙って最後までやらせてみることが大切です。
時間はかかりますが、子どもたちにはそんな経験が必要なのです。
親の期待には責任が伴います
親が期待をするのは当然です。
親が子どもに期待してはいけない、なんて100%嘘っぱちです。
「楽しくなければ勉強じゃない」と同じく金儲けのためのキャッチコピーではないでしょうか。
しかし、期待するだけでは確かに無責任すぎます。
子どもに期待するなら、その期待に応えられるだけの力を子どもに持たせてやるべきです。
子どもに期待するなら、親は期待に見合うだけの努力をするべきです。
そのための子育てだ、とyamaは思うのです。
特に受験勉強をさせたい、とお考えの親御さんには是非読んで欲しいことがあります。
受験勉強は並大抵のことではありません。
スポーツに例えるならトライアスロンのようなものです。
水泳や自転車、マラソンの技術も大切ですが、丈夫な肉体と不屈の精神力が不可欠です。
子どもたちにトライアスロンをさせてみたいと思うなら、まずその前に、普段から身体作りを意識してなければなりません。
受験勉強も同じです。
まず始めに、受験勉強に立ち向かえる習慣や姿勢、能力を育てておいてやるべきなのです。
それを意識しないで塾に通わせても効果は期待できません。
受験勉強に限らず、子育てや教育は全て同じだと思います。
その時が来てからでは遅いのです。
その時がいつ来ても良い様に(場合によってはその時が来ないように)、準備しておくことが子育てや教育だと考えています。
子育てで起こる問題のほとんど全部は、起こってしまってからは手遅れになってしまいます。
何か問題が一つ起こると、子どもたちはそのせいでどんどん変わっていきます。
分析したり対処しようとしても、日々状況が変わっていくので、なかなか追いつけません。
だからと言って、まだ起こってもいないことを心配ばかりしていたのでは逆効果です。
特に、お母さん方の情緒の乱れは、子どもたちに必ず悪い影響を与えます。
心配している暇に、今できることをあれこれ探している方がずっと気が楽です。
yama家の子育て②
子どもたちは何かに熱中していると、すぐに帰る時間を忘れてしまいます。
親御さんが何度も声をかけるのですが、子どもたちはなかなか帰ろうとはしません。
実はyama家では、その様な経験がほとんどありません。
「帰るよ」と1回声をかければ、子どもたちはすぐに動き始めます。
yama家では、子どもたちが小さい頃から「帰るよ」の声かけは1回しかしていません。
しばらく待っても子どもたちが動き出さないようなら、黙って帰ってしまいます。
実際には帰らずに、離れたところや見えないところから子どもたちを見守っているのですが。
子どもたちが親がいないことに気づいて慌てだした頃を見計らって姿を現します。
親に気づいた子どもは、熱中していたものを手から放し、子どもから親の方に近寄ってきます。
予め夫婦で話し合っていたこともあって、最初から、yama家の子どもたちはみんな、そんな風に対応されていました。
最初に1、2回、そんな経験をすると、子どもたちは1回の声かけだけですぐに帰り支度を始めるようになりました。
子どもに不安を与えることはよくないなどのご意見もあるかもしれません。
帰る時間になる度に何度も同じことを繰り返しすことによって様々な障害が生じます。
トータルで考えれば、一度や二度の不安をあたえるくらいはたいしたことではないと思います。