親が子どもに与える影響

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しつけか押しつけか

少し前にネットで話題になったそうです。
しつけと押しつけは違う。子育てに押しつけは必要ない。子どもに押しつけてはならない。
yamaはこれを聞いて「本気で言ってるのか?」と疑問に感じています。
何故なら、yamaは子育ての本質とは、子どもに与える影響をうまくコントロールすること、言い方を変えれば、子どもに色々なことをうまく押しつけることだと考えているからです。
子育てする以上、親は子どもに様々な影響を与えています。
親子で性格や好みが似ていることが多いのは、そのせいです。
逆に、親が子どもに全く影響を与えない、押しつけない、そんな子育てができるものなら見てみたいものです。
「子どもに押しつけてはいけない」なんて誰が言い出したのでしょうか。

 

蟲(ムシ)はお好きですか。

yamaには忘れられない出来事があります。

yamaはある幼稚園に通っていました。
その幼稚園は給食がないので、yamaは毎日、お弁当を持って通っていました。
園庭には大きな柳の木が生えており、その下にジャングルジムがありました。
季節になると柳の木にはたくさんのガの幼虫が発生しました。
柳の枝は垂れ下がるので、ジャングルジムに登ると幼稚園児の顔の高さほどの所にそれこそ無数のイモムシがいるのです。
内地ではかなり大型のイモムシで、長さは7~8cm、太さも幼稚園生の指より太かったと覚えています。
全身が緑色で、白っぽい縞模様があり、お尻がツンと尖っています。
今になって思えば、おそらくウチスズメの幼虫ではなかったかと思うのですが、幼稚園生のyamaにはそんなこともわかりません。
ただ、yamaはそのイモムシを捕まえるのが大好きで、毎日、何十匹も捕まえて家に持って帰りました。
虫かごなどありませんので食べ終わった弁当箱に入れて、持って帰っていたそうです。

最初、yamaの母親はとても驚いたそうです。
もともとyamaの母親は、蟲が好きではなかったそうです。
始めてイモムシがいっぱいの弁当箱のふたを開けたときのことは、いつまで経っても忘れられなかった、と言っていました。
yamaが大人になってから聞かされたことには、弁当箱を投げ出してその場にへたり込んでしまったそうです。
ところが、yamaの母親は、それについてyamaには何も言わなかったそうです。
おかげで、毎年その季節になると、母親は毎日毎日、戦々恐々としていたそうです。

「弁当箱に入れられるだけ、ぎゅうぎゅうに詰めてるでしょう。」
「イモムシもみんな暑くて苦しかったんだと思う。」
「ふたを開けた瞬間に、みんな一斉に首を持ち上げるのよ。」
年老いた母親はそんなことを話しながら、笑っていました。
そんな母親も数年前に他界しました。
yamaはこの話だけは一生忘れないと思います。
母親とは色々ありましたが、少なくともこの事件については、yamaは心から母親を尊敬し感謝しています。
今のyamaがあるのは、この時の母親のおかげだと思っているからです。
もしこの時に、母親が少しでも嫌な顔をしていたら今のyamaはなかったと思います。

yamaは生き物や自然が大好きです。
この年になっても生き物たちを見つけるととても嬉しいです。
中南部で勤めていたときも、5分ほど歩いて昼食の買い出しに行くのが大好きでした。
県道沿いのホルトノキにはセミだけでなくいろいろな生き物がやってきました。
郵便局の前庭のモクマオウにマツバランがついているのを見つけたときには小躍りするほど嬉しかったです。
今でも毎日の生活の中で色々な生き物を見つけては楽しく暮らしています。
他人様から見れば、ただの極楽蜻蛉、一銭の値打ちにもなりません。
ですけれども、それだけでyamaは充実した人生を送り、日々、楽しんでいるつもりなのです。

子どもに影響を与えない子育てなどあり得ません

「yamaの母親は蟲を嫌うことを押しつけなかっただけで、蟲を好きになる様に押しつけたわけではない。」
そんな風に考えられる方もいらっしゃるかもしれません。
確かにその通りです。
しかし、yamaの母親は明確に意識して「蟲を嫌いになる様な環境を積極的に排除しよう」と考えてくれたのだと思います。
「蟲を好きになるように押しつけたわけではない」と言う考え方は、yamaの母親に対する冒涜でさえあると思います。
yamaの母親は、yamaの興味や好奇心のを伸ばすために積極的に環境を調えてくれたのだと思います。
ハイハイを始めばかりの子どものいる部屋を整理して危険な者や場所を取り除いたり、手に取ったり口に入れたりしても安全なオモチャを配置してやることと、本質的な違いはありません。

yamaの母親も、本当は「持って帰ってこないで」と言ったり、困った顔をしたり、怒ったり叱ったりしたかったんだろうと思います。
母親の行動としてはそうする方が普通だと思います。
そうしたからと言って誰かに責められることでもありません。
しかし、そんなことがあったら、yamaは「蟲を嫌ったり恐れたりする」ことを押しつけられてしまっていたかもしれません
実際にはその様に押しつけられてしまっている子どもたちが多いのではないでしょうか。
yamaの母親は、母親が子どもに与える影響の大きさを考えてくれたのだと思います。
子育ての全てにおいて、yamaの母親がそこまで配慮してくれたわけではないと思います。
しかし、母親の何気ない一言や表情が子どもに与える影響を見逃さないでくれたこと、そのことをyamaに教えてくれたことには本当に感謝しています。

しつけと押しつけ??

敢えて逆説的な言い方をさせてもらえば、多くの親たちが、自分たちが無意識のうちに子どもに影響を与えてしまっていること、押しつけてしまっていることに気づいていないのではないでしょうか。
しつけと押しつけの違いにこだわったりするのは、無意識のうちにしつけたり押しつけたりしていることに気づいていないからかもしれません。

yamaは関西出身ですので、子どもの頃、納豆と言えば甘納豆のことだと思っていました。
その当時、関西では納豆を売っている店も滅多にはありませんでした。
甘納豆でどうやってご飯を食べるんだろうとさえ考えていました。
始めて納豆を見たのは中学の修学旅行で長野のホテルに泊まったときでした。
腐った大豆にしか見えませんでした。
口にしようなどとは考えてもみませんでした。
yamaはyamaの親たちや育った環境から影響を受けたために、納豆が嫌いになってしまっていたのです。
yamaの親や周りの人たちは、yamaを納豆嫌いにしたかったわけではないと思います。
yamaは、納豆嫌いを押しつけられたわけでは、けしてありません。
誰かが意識して影響を与えたわけではありませんが、yamaは影響されてしまっていたのです。

「育ちが良い」と言う言葉があります。
立ち居振る舞いなどが落ち着いて洗練されており、言葉遣いや物腰が柔らかい人のことを言うそうです。
幼い頃から厳しくその様にしつけられた場合もあるでしょうが、常日頃から育ちの良い親御さんの様子を見て育ったせいかもしれません。
多くの場合、親御さんも意識しているでしょうが、意識していなくても、子どもたちは親御さんの振る舞いや言動を真似してしまうものです。

「孟母三遷の教え」と言う古い話があります。

中国の春秋時代の思想家、講師の一番弟子としても有名な孟子のお話です。
孟子は幼い頃、墓場の近くに住んでいました。
そのせいで、孟子は葬式ごっこばかりして遊ぶようになってしまいました。
孟子の母親がそれを嫌い、市場の近くに引っ越しをしたそうです。
すると、今度は孟子が商人の金勘定や駆け引きを覚えて真似る様になりました。
孟子の母親はそれも嫌ったので、また、学校の近くに引っ越しをしたそうです。
すると、孟子は礼儀作法を覚えて真似をするようになったそうです。
孟子の母親はそれに満足して底に長く住むことにしました。
その結果、孟子は様々なことを学んで有名な思想家になりました。

と言うお話です。

孟母が孟子に学校の近くという環境を押しつけた、と考えられるかもしれませんが、yamaはそうではないと考えます。
孟子の教育のことだけを考えていたのなら、孟母は初めから学校の近くに引っ越したのではないでしょうか。
孟母は始め、環境が孟子に与える影響に気づいていなかったのではないでしょうか。
どんな環境が孟子にどんな影響を与えるかまでは予想していなかったのではないでしょうか。
何度か引っ越すうちに、たまたま、望ましい環境を見つけたのではないでしょうか。
この話は「子育てにおいて環境が大切だ」との例で用いられることが多いのですが、yamaにはそれだけではないように思います。
気づかぬうちに親は子どもに影響を与える。何をすればどうなるかはわからない。それでも諦めずに色々なことを試すことが大切だ
この話にはそんな教訓が隠れているように、yamaには感じられるのです。

意識しようがしまいが、親は子どもに影響を与えてしまうものです。
影響を与えずに子育てしたい、と思ってもそれは不可能です。
であるならば、yamaはむしろ積極的に影響するべきだと思います。
それがしつけか押しつけかなどと悩む必要などありません。
ただ、しつけるならしつけるで、押しつけるなら押しつけるで、何をどの様にしつけたり押しつけたりするか、子どもたちに真剣に向き合って諦めずに考え続けるべきだと思います。
しつけと押しつけの違いに神経質になりすぎたり、しつけや押しつけを恐れるあまり子育てや教育に消極的になったりしても、何も良いことはありません
どうせ影響を与えてしまうのだから、と割り切ってしまって、あれこれ悩む暇に、どんな子どもに育ってほしいかなどと、先のことを考えた方がよほど健康的だと思います。

 

もし、お父さんやお母さんが○○が好きだった、としたら

ここから先は、もしもの話、例えばの話です。ですが、お父さんやお母さんたちに是非考えて頂きたいことがあります。

納豆はお好きですか?
お子さんたちはどうですか?

ゴキブリは平気ですか?
お子さんたちはどうですか?

スポーツはお好きですか?
お子さんたちはどうですか?

生き物や自然はお好きですか?
お子さんたちはどうですか?

海や山、川によく出かけられますか?
お子さんたちはどうですか?

読書はお好きですか?
お子さんたちはどうですか?

勉強や学習はお好きですか?
お子さん達はどうですか?

学校はお好きですか?
お子さんたちはどうですか?

例えば、「○○が好きなお父さんやお母さん」たちがいたならば、その子どもたちの多くは○○のことが好きだと思います。逆に「××が好きなお父さんやお母さん」がいたなら、その子どもたちの多くは××のことが嫌いなのではないでしょうか。
だとしたら、子どもたちに○○のことを好きになってもらいたければ、まず、お父さんやお母さん、子どもの身近にいる大人たちが○○のことを好きになるべきではないでしょうか。もし、子どもたちが××のことを嫌って困っているときも同じです。まずはお父さんやお母さんが××のことを好きになるべきです。そうすれば、子どもたちも××に対する考え方を変えてくれるかもしれません。

○○が好きなお父さんやお母さんは、○○に触れたり○○をするとき、○○の話をするときに、一所懸命の表情をしたり、楽しそうな表情、嬉しそうな表情をします。その様子を見て、子どもたちは○○のことが好きになるのではないでしょうか。反対に、××が嫌いなお父さんやお母さんは、××に触れたり××をするとき、××の話をするときに、嫌がったり避けたりする表情、辛そうな表情、悲しそうな表情をしているのではないでしょうか。それを見た子どもたちが、××のことを好きになるとは考えにくいと思います。子どもたちはお父さんやお母さんの何気ない表情から多くのことを学びとっています

こう考えて見ると、お父さんやお母さんが○○のことを好きになるだけでは、子どもたちが○○のことを好きになることはなさそうです。お父さんやお母さんが○○に触れている様子やそのときの表情を子どもたちに見せてあげることが大切なのではないでしょうか。できれば、子どもたちと一緒に○○に触れたり、○○について話したりしながら、そんな表情を見せてあげることが必要なのではないでしょうか。
yamaが親子の時間にこだわる理由の一つです。

興味や好奇心

興味や好奇心を詳しく説明することは難しいのですが、一言で言えば、「いろいろなものを好きになる特性や能力」と言えると思います。であるならば、子どもの興味や好奇心を育てたいならば、まず、お父さんやお母さんがいろいろなものを好きになることが必要なのではないでしょうか。「興味を持て」とか「好奇心を出せ」などと言われても、興味や好奇心が出てくるはずがありません。お父さんやお母さんが楽しんだり喜んだりやっていることに、子どもは興味を持ち真似をしたくなるものです。そんな経験が多い子どもたちほど、いろいろなものごとに興味や好奇心を持てるようになるのだと思います。

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