教師か女優か
母親(役)と父親(役)
近頃、ジェンダーの問題をよく見聞きします。そんな状況では少し気を遣わなければならない問題なのかもしれませんが、是非とも考えて頂きたいことがあります。
yamaは、母親(役)とは「周りに背いてでも子どもの立場に立ち最後まで子どもを守ろうとする立場」であり、父親(役)とは「客観的に冷静にものを観て問題の解決や向上を目指すことを教える立場」だと考えています。母親(役)はあくまで子どもの味方です。その意味では客観的である必要はありません。逆に父親(役)はいつでも子どもの味方であるとは限りません。主観に偏りすぎると却って子どもの信頼を裏切ることにもなりかねないと思います。いわゆる「解決脳」や「共感脳」に通ずる考え方かもしれません。
子育ては「演劇」のようなもの
yamaは子育ては、ある意味で「演劇」のようなものだと思っています。子どもがいて、母親(役)と父親(役)がいる。母親(役)も父親(役)も子どもを育てるため、ある程度割り切って一所懸命に子育てをする役を演じている、子育てのために、多少、自分の本音を隠して子どもに接している、子育てとはそんな状態ではないでしょうか。良い母親(役)や良い父親(役)を演じようとして、みんな四苦八苦している。でしたら、いっそのこと女優や俳優になったつもりで子どもに接するのも「あり」だと思います。かえってその方が気楽に割り切って子どもに接することができるようになると思うからです。例えば、子どもが何かしでかしてしまって叱っている時にも、自分は今何役を演じているんだろう、とか、どんなふうに演じればいいだろう、などと考えられるようになれれば、子どもを叱りすぎたりすることも減るでしょう。叱りすぎてしまって後で悔やむなどと言うこともなくなると思います。逆に、叱ってやらなければならないのに叱れないときにも、うまく叱ることができるようになるのではないでしょうか。
子育てには母親(役)と父親(役)、両方のバランスと切り替えが大切だと思います。一人一人がどちらかの役だけを演じるのがわかりやすいでしょうが、家庭内ではそうとばかりは言ってられません。特に、一人で両方の役を演じる場合には、子どもたちにもわかりやすい様に、その切り替えをはっきりさせることが重要だと思います。
教師(役)と母親(役)
父親(役)と母親(役)の両立よりも、教師(役)と母親(役)の両立は難しい、とyamaは考えています。子どもがまだ幼い頃は両立できたとしても、小学校に上がる頃には非常に難しくなる、と思います。
本来、教師(役)は父親(役)以上に客観的に物事を判断するべき立場です。問題が解けないで困っている子どもの立場になってあれこれ手出し口出ししてしまうと、子どもが一人で取り組む力を育てることはできません。時間や気持ちに余裕があるときはまだいいのですが、そうでないときにはついつい焦ってしまって必要以上に手出し口出ししてしまいます。教えているつもりで子どもたちの考える能力を削ってしまっている、などと言うことにもなりかねません。子どもたちに正しいことや正しいやり方を教えるだけが教師の仕事ではありません。一番大切な教師の役割は、いかにして子どもたちの能力を伸ばしてやるか、と言うことだと思います。これは簡単そうに見えて、実はとても難しいことなのです。
教師の役割
yamaが以前勤めていた塾では年に数回、親御さんとの面談がありました。そんな際、多くの他の同僚たちは、家では勉強を教えないようにと、親御さんたちにアドバイスしていました。何故、そんなアドバイスをするのか同僚たちと話をしたことがあるのですが、ほとんどの同僚たちは、教え方が違うと子どもたちが混乱するからだ、と答えました。しかし、yamaにはそうとばかりには思えませんでした。
本当に高い能力を持つ子どもたち、思考力がある子どもたちは、1つの問題にも様々な解き方を見つけます。多角的に問題を捉え、いろいろな考え方ができるのです。ですから、子どもたちには様々な視点から自由に考えさせるのがよいと思います。
ここで、一年生の後半で習う繰り上がりについて考えてみてください。繰り上がりにも様々な考え方があります。最初のうち、ほとんどみんな指折り数えていますが、よく見ると一人々々数え方が微妙に違います。馴れてくれば馴れてくるほど、その違いは大きくなっていきます。両手を使っている子どももいれば片手しか使わない子もいます。指を一本ずつ順番に曲げたり伸ばしたりする子どももいれば、数本の指を一度に曲げ伸ばしする子もいます。みんな指を使うことは同じでも、一人々々が頭の中で考えていることは違うのです。
yamaはこんなときの子どもたちの様子を見るのが大好きです。指を使いながら、子どもたちは一所懸命に考えています。しかも、一人々々が少しずつ違う風に考えているのです。中には、他の人には考えつかない素晴らしい考え方を見つける子どもも、きっと含まれているに違いありません。その意味では、この時点まで、子どもたちはみんな天才になる可能性を秘めているのです。
ところが、学校や家で教えてもらう機会が増えてくると、子どもたちの指の使い方がどんどん同じ様な使い方に統合されていってしまいます。「効率のよい数え方」や「正しい数え方」を習っているうちに、子どもたちは自分が見つけた考えを捨てて、教えてもらった数え方に染まっていってしまいます。確かに教えてもらったことで、子どもたちは速く、正確に繰り上がりの計算ができるようになります。しかしその一方で、子どもたちは自分で考える力を失ってしまいます。時には、自分で考えることを諦めてしまって、最初から教えてもらうことを待つ子どもになってしまうこともあります。学習面で受け身になってしまった子どもは、学習に興味や好奇心を持てずに苦労することが増えるようです。
ですから、yamaは教えすぎるのはよくないと考えています。とくに、子どもたちの考えていることを無視して、大上段に構えて頭ごなしに教えてしまうことは、けしてやってはならないことだと思っています。まずは、子どもたちの考え方ややり方をじっくりと見て、間違ったところや見落としているところだけを手直ししてやるのがよい思います。そしてできるなら、そんな手直しも少なければ少ないほどよいのではないかと思っています。正しいことや正しいやり方を教えるだけではなく、できるだけ子どもたちに考えさせながら必要最低限なところだけ導いてやると言う姿勢が大切だと思います。
日本のお母さんは忙しすぎる
できるだけ子どもたちに考えさせながら必要最低限なところだけ導いてやる、と言葉で言うのは簡単ですが、これをご家庭で実践するのはけして簡単なことではありません。なぜなら、できるだけ子どもたちに考えさせる、のにはたくさんの時間がかかるだけでなく、気持ちに充分な余裕が必要だからです。
この二十年ほどの間に日本のライフスタイルは大きく変化してしまいました。専業主婦がほとんどいなくなり、仕事を持つお母さんが増えています。ほとんどのお母さんたちが、仕事をしながら家事の多くを一人でこなしています。日本のお母さんたちには時間が足りません。1日24時間のうち、子育てや教育に専念できる時間がどれほどあるでしょうか。そんなお母さんたちに教師役まで担わせることは、実質的に無理だとyamaは考えています。
気持ちに余裕がないと、ついつい、子どもたちにきつい言葉や表情で接してしまいます。子どもたちは、親御さん、とくにお母さん(役)の表情や仕草には敏感です。小学4~5年生くらいまでは、子どもたちに言葉よりもずっと大きな影響を与えます。それを忘れてしまうと、一所懸命に子どもたちのことを考えているつもりで、かえって逆効果になってしまうことも少なくはないのです。
よく言われることですが、、、
いつも明るい笑顔のお母さんがいる家庭では、明るい子どもが育ちます。
いつも眉間にしわを寄せているお母さんがいる家庭では、自信がない子どもが育ちます。
いつもため息ばかりついているお母さんがいる家庭では、消極的な子どもが育ちます。
いつも心配ばかりしているお母さんがいる家庭では、臆病な子どもが育ちます。
子どもを育てるのは言葉や理屈ではありません。
むしろ、お母さん(役)がどんなお母さんを演じるか、が重要なのです。
yamaは、お母さんにもお父さんにも、それぞれの役を演じきって欲しいと思います。
無理をしてまで教師(役)を演じることはないのではないでしょうか。
学校にも教師(役)がいて家庭にまで教師(役)がいたら、子どもたちはどこで気を抜けば良いのでしょうか。